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2025年2月11日火曜日

豪鬼なる者

虚木零児です。

豪鬼(海外名、Akuma)もシリーズ常連の人気キャラクターとなりましたね。そもそもがスパ2Xの裏ボス、隠しキャラクターとして登場してから数十年、リュウやケンとの何らかの関連性を匂わせながら、より強力な技の数々、殺意の波動という謎めいたちから、リュウケンの師匠・剛拳との関係……ゲームのみならず、漫画・映画と幅広いメディアに登場して活躍を見せております。そろそろもう一人の顔と言っていいのではないでしょうか。

じゃあ、豪鬼とはなんぞや。という話ではあるんですよ。

キャラクターに設定については公式サイトの紹介を読めばよろしい。性能についてはプロがいるんだからそちらにお話を伺えばよい。過去の描写の数々についてももっと詳しい人間もいよう。

そのうえで、何を話すかと言えば、豪鬼が必然的に抱えることになる矛盾の話だよ。

◆設定と性能の矛盾

豪鬼は物語の登場人物であると同時に対戦ゲームの操作キャラクターである訳です。設定上では拳を極めし者を名乗り、時には呼ばれ、隔絶した実力があるかのような描写がありますが、現行シリーズにおいては、使えば誰でも勝てるような圧倒的な差があるキャラクターとはされていません。一本でいく、言うたやんけ。

とは言いつつ、初登場時の隠しキャラクターとしては高い性能を誇っていたこともあり、また作り上げられてきたイメージ的にも他作品に客演した時に暴れまわることが許容されうるキャラクターでもあります。豪鬼だから仕方ないよね? ではなく、豪鬼なのに弱く出てこられた方が扱いに困るよね。という話です。一定強くあってほしい。

さて、性能はともかく、描写的には恐ろしく強く、エアーズロックを叩き割り、深海の沈没船を突き抜けて空へと飛び上がる怪物です。俗世間を離れて修行に打ち込むという意味ではリュウやオロもいるのですが、それでいてスケールがでかい。普通の人間は深海に潜ったりしないんですよ。

こんなことをしているのだから、アスラやモンスターと戦わされるのもさもありなんという話ではあります。冷静に考えれば人間相手に打ち込むにはあまりにパワーがすぎる。強者同士の生命を賭した死合いと言えど、エアーズ・ロックを割る必要があるか? と言われると疑問の余地もあるでしょう。スト(スパ?)4では伝説の暗殺者、元がライバルみたいな扱いされてたけど、アイツ絶対そんなことできんやろ。オロならまだ可能性あるか?

こんな設定を真面目にゲームに落としこまれても困る訳で「やだなあ、キャミィみたいな細腕で彼の拳がブロックできると思いますか?」でガード不能になったら「何言ってんだ」みたいな話になりますし、「なんと言っても、彼は『拳を極めし者』だからね。そんな男から打ち出される突きの速さなんて想像もつかないよね? だから、ドライブインパクトの発生は18Fにしました」とか言われると「うーん……」ってなる。やるならもうちょっと派手にやれよ。

実際、スト6においてはインパクトの後半モーションが腕を引いての残心を思わせるものになっていますから、他キャラとは一味違います。結局は隙ではあるんだけれども。仕方ないじゃないか、スト6に出る以上、多少は手加減してくれないと。

◆初期と実態の矛盾

いやしかし、なんでこんなことになったんじゃ。どうしてここまで設定上の強さが盛られに盛られることになったのか。という話であります。

まずは単純に初登場から比べると色々と背負うものが増えたことがあります。当初はリュウケンと同門、ないし同系統の技を使う正体不明の格闘家でよかったんですが、後にシリーズが進むにつれて、師匠の実弟であったり、己の強さを追求して殺意の波動に手を染め、兄を討ち倒したり、自らと同じく殺意の波動に目覚める素養のある男に目をつけたり、伝説の暗殺者との死合いの約束を取り付けたりと因縁やバックボーンが語られるに連れて、豪鬼というキャラクターのディティールが出来上がってきました。

ベガが国際犯罪組織の総帥として、サイコパワーというオカルティックなパワーによって圧倒的な力を持ち、それによって我欲を満たすために世界へと悪しき干渉をするのと比較すれば豪鬼の欲求は比較的控えめなものであり、己が強さの追求と結実を目指し、そのためには実力ある武闘家との死合いを求めるにとどまってはいます。

無論、格闘家が餌食とならば生命を落とす可能性が高く、「故郷に帰るんだな」とか言い出す連中と比較すれば、世界の秩序から外れた存在であることは否定できません。が、国家はおろか、地球や世界全体に混乱をもたらしたベガと比較になりません。更に言えば、シリーズの長期化やコラボへの客演などで、実力不足な相手には「去ね」というだけの分別も身につけています。今となっては、カーボナディウムコイルとデスファクターでリュウを殺したソ連の超人とはワケが違うんですよ。

なれば、必然的に強さを追い求め、さらなる高みを目指すキャラクターになりました。己の強さの糧にしたいだとか、実力を誇示したいだとかで強そうヤツを見かけては喧嘩を売るおじさんではないワケです。人気のない島の奥地とかに隠れ住み、前述のような修行を兼ねた破壊行為に勤しむ迷惑な存在ですね。

初登場からしばらくは「拳を極めし者」という触れ込みだったはずなのに。どういう気持ちで言うてたんや、コイツ。

極 - 漢字ペディア

加えて、シリーズの常連キャラクターとして後継作品に登場し、

  1. 空手じみた暗殺拳を源流にもつ
  2. 殺意の波動と呼ばれる謎めいた力の使い手
  3. 極めたと称するに値する高性能かつ多彩な技

というコンセプトを持つ以上は、その枠組を崩さない範囲での進化も必要です。他のキャラクターたちはより刺激的なゲームに適合している訳ですから、いつまでも昔取った杵柄で頑張り続けているわけにもいきません。そういう意味でも、豪鬼が求道的な振る舞いをするのは必要な変化と言えるでしょう。

◆瞬獄殺の意味と変遷

瞬獄殺とはなんぞや? という話はここで深くは語りませんが、ゲーム的には全ゲージ消費であったり、あるいは、CA状況限定であったりと、必殺技の中でも秘奥や切り札といったポジションに位置する技となります。個々の性能とか使い勝手とかは別にして。

一方で瞬獄殺自体は殺意の波動界隈では基礎的な技でもあり、豪鬼はもちろんのこと、殺意の波動に目覚めたリュウもゴッドルガールも影ナル者も性能やら実用性、内容などに違いはあれども使っていることが伺えます。竜巻から昇竜の空中コンボは殺意の波動の特権、だと思っていた時期もありましたが、気付いたらそうでも無くなっていました。まあ、当時の豪鬼っぽい挙動にしたら、そうなるってだけでしょうが。

かつて――確かZERO2のムックのおまけ――で描かれた物語を設定とするならば、現在の豪鬼の原点、あるいは完成は師・轟鉄の殺害ということになります。血の滲むような修行の果て、いよいよ殺意の波動を御し、我が物にしたという確信を持って繰り出した、秘奥・瞬獄殺が現状の修羅染みた生き方を決定付けました。無論、本当の意味でのスタートは殺意の波動を我が物にせんという野望を抱いた瞬間であるし、それ以前から豪鬼は豪鬼であります。しかしながら、轟鉄が勝利していれば無論のこと、轟鉄を倒したとてその雌雄が「瞬獄殺」を使うまでもない、死闘でなかったならば。果たして今と同じ豪鬼の域に至るかと言えば疑問が残るのではないか。

であるなら、スト6瞬獄殺フィニッシュの「一瞬千撃 抜山蓋世 鬼哭啾啾 故豪鬼成」の文も力と気力に溢れ、多くの強者を倒し屍を乗り越えた先でたどり着いた秘奥を持って豪鬼が完成したのだと読むことができるし、英語版で自らを悪魔と称するのもまた同様に己の成立にたいする述懐の文なのだと理解することができるでしょう。システム上、勝ち確でしか言わないことを思うと煽り臭いのが気になりますが。

◆そりゃ豪鬼も丸くはなるよね

まあ、ごちゃごちゃ言いましたが、結局の所、シリーズ展開をするとなれば、安易にキャラクターを殺すわけにもいかないし、不用意に死を撒き散らすのもためらわれるようになっていきます。

何度かネタにしてるんですけど、同社の戦国BASARAって一作目は死にまくってたんですよ。伊達政宗とか暴走族めいた要素が強すぎて、部下を引き連れて爆走するんだけれども、戦い抜いてみると激しい戦いを乗り越えたのは自分だけだった……みたいな無常さがありました。まだ、小十郎もいなかったしな。この時点では、真田幸村とのライバル関係とやらも「次こそは必ず!」みたいな決着にはならず、最初で最後の大勝負として処理され、終わってしまうと「次」はありません。

これは豪鬼くんも同じことではあります。本当に果たし合いで生命を奪ってしまうと、次が起こりません。個別ストーリーの中でなら「有力な格闘家を次々と血祭りに上げていき、魔人と恐れられる秘密結社の総帥を倒しても、死合いに足るものはなく結果として、何の成果も得られませんでした」という展開もできるでしょうが、それはシリーズ全体においてはIFの話と処理せざるを得ない。よしんばリュウと戦うことがあっても地に伏し、物言わぬ亡骸を一瞥して「見込み違いか……」とはしがたいし、できない。なれば最初から血気盛んな戦闘狂にはなり得ないし、人の生き血を啜る鬼や悪魔とは大きく異なる。似合うのは力や恐怖の表象であって、悪徳ではなく、残虐すら微妙なフシがあります。

同様にリュウ如きに死力を尽くさないといけないようでは困る訳です。ゲーム上ではいい勝負だったとしても、終わった際には「まだ、児戯の域か。死合うには能わず」とかなんとか言い訳つけて、トドメ刺さずに悠然と立ち去ってもらわねばならない。逆に「どうした! 起て!」とか言われてしまうのもそれはそれでマズい。なに負けてんだ。

なればこそ、設定的には人知を超えた存在としての描写は増えていく一方で、死合うに見合う相手の境界は厳しくなっていくし、伴って戦う回数は減っていきます。というか、安易には増やせない。言うて、死んだと思っていてた剛拳の復活参戦、消失したかのような描写からの復活したベガなどを思えば、一定の格を持っていればあるいは……という話はありますが、それはそれで「〇〇と豪鬼はどっちが強いの?」みたいな格付け問題に影響を及ぼすので扱いづらい。

ここまでの人気シリーズになってしまうと「強者を求めて彷徨する幽鬼」の類として振る舞うには限界が来ており、マジで実力はあって戦えば強いんだけど、方向性の違いから戦いの場にはほとんど出てこない色はつくし、メタ的にも出番は与えにくい……みたいな扱いを受けるのも致し方のないことですし、そこに文句を言うのも野暮ってもんだよな。とは思う訳です。