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2015年2月11日水曜日

如月の轟沈とそれに纏わる雑感いろいろ

はい。飽きもせず艦隊これくしょんの話です。
どうやらこのアニメ、世間一般ではさして評価が高くないらしく、どうやら私はまた世間様から少しばかりズレている模様です。
今に始まったことではないので我が道を進むこととしましょう。

今回の投稿も物語の中身に触れて参りますので、未視聴の方はご留意ください。

●なぜ如月だったのか

如月轟沈の爪痕は私が思っているより大きいようです。もう放映から二週間以上、経過したというのにいまだに痛ましい叫びを目にすることがあります。
お辛いでしょう。お辛い……。

ま、それはさておき。
数いる艦娘の中から如月が選ばれた理由は史実にあると言われています。艦これ実装艦の中で一番最初に沈んだ艦が「如月」だから白羽の矢が立った、という訳です。作中のW島攻略作戦も史実において轟沈の憂き目にあった作戦と合致する辺り、かなり信憑性の高い話です。

個人的には納得できなくはない、と言った所でしょうか。

実際の史実を準えたというのは理解出来ます。しかし、そもそも史実の再現をする必要があったかという箇所で意見が別れるでしょう。
今回は如月が犠牲になりましたが、採用するエピソード次第では別の艦娘を失うことになります。誰を失うにしてもどこからも不満が出ないなんてことはまずあり得ません。不平を避ける為に「誰も轟沈させない」という選択も取れたのではないか。私はそう思います。

しかし、アニメは敢えて轟沈を真っ向から描きました。それはなぜでしょう。
少し追いかけてみたいと思います。

●なぜ轟沈したのか

轟沈という単語は何もアニメで勝手に組み込まれた話ではありません。もともとのゲームからある仕様です。一般的な用語に直すと「ロスト」。こうなってしまったら最後、再入手は出来ても復活は出来ません。
もし仮に同じ艦娘を手に入れることができたとしても、センチメンタルな言い方をすればそれは別人。身も蓋もない言い方をすれば、一から育て直さなければなりません。

プレイヤーとしてはあまり嬉しくない機能です。手塩にかけて育てた艦を失うのがそもそも痛いのですが、個性豊かな可愛い女の子が失われるというのですから精神的に堪えるものがあります。
(まあ、なかには「これぐらいリスクがあった方が張り合いが出る」なんて方もいらっしゃるようですが……)

ではなぜ、そんな機能が実装されているのでしょう。
その理由の一端は下記のインタビューより垣間見えます。

だから,そういう哀しみの史実や喪失感,もしくは痛みといったものを感じさせるプロトコルとして,ロストというのは当然の選択だったんです。
人がいれば、その人の数だけ選択があるので、ロストの搭載が全員にとって「当然の選択」であるかはひとまず置いておきます。少なくとも製作者は轟沈を喪失感や痛みを感じさせるプロトコルとして実装しました。そこから哀しみの史実を感じてほしいという願いを込めて。
製作者の思い描く艦隊これくしょんにおいて、轟沈は欠くべからざる要素の一つであるということが読み取れるかと思います。

これを踏まえた上で、アニメに話を戻しましょう。
先刻も触れましたが、轟沈はアニメにおいては必ずしも必要なピースではありません。轟沈は艦隊これくしょんというゲームを構築するには欠くことのできない歯車ですが、艦これを艦これたらしめる最小限のというほどではありません。艦娘と彼女らの存在理由である戦い、その戦いの敵である深海棲艦。この辺りがあればそれはもう艦隊これくしょんの世界なのです。現にコミックスなどでは艦娘の轟沈に触れていない作品が多いと聞きます。
その上、轟沈は少なからずファンの反発をまねきます。いくら物語の中とはいえ、お気に入りの艦娘が海の藻屑と消えるのを快く受け入れられるはずがありません。仮にそこまで思い入れのない艦娘だったとしても程度が変わるぐらいで、あまり気持ちのいいものではありません。
暗黙のうちに「艦娘の轟沈は触れてはいけないタブー」ぐらいの了解ができていたと言っても過言ではないでしょう。

それでも、アニメは如月を轟沈させました。
ファンの反発を読めなかったはずはありません。恐れて轟沈させないという選択肢をとっても十分に話を作ることはできたでしょう。にも関わらずあえて轟沈を描き切ったということは、スタッフもまた「轟沈は艦これにおいて欠くことのできないピースである」と判断した、ということではないでしょうか。
如月はわざわざ史実を擬えるような形で沈んでいます。これはインタビューの中に出てきた「悲しみの史実や喪失感、もしくは痛み」を感じさせるのに、これ以上ないほどにストレートでダイレクトなやり方です。
あの轟沈は製作者の意図や願いを最大限尊重した、アニメスタッフのゲームに対するリスペクトの現れに他ならない。私はそう結論付けようと思います。

●如月の残したもの

轟沈の描写はアニメスタッフにとっては当然の選択だった。という結論を出しました。
が、そのアプローチの是非についてはまだ議論の余地があります。
というのも、「如月の轟沈は果たして物語上、意味のあるものだったのか」という点がどうしても気になるからです。

まず、アニメ艦これは吹雪の物語です。あの世界の出来事の多くは吹雪の目線で描かれており、必然的に吹雪が知り得ないシーンは視聴者にもあまり開示されません。例外的に鎮守府の現状を描写するために長門の視線が入ることがありますが、それぐらいでしょう。
にも関わらず、如月と吹雪は駆逐級の同級生である以上の関係性を持ちませんでした。強いて言えば、吹雪の友人である睦月の親友なので「友達の親友」です。吹雪が睦月を抜きにして如月と向かい合ったことはなかったと記憶しています。

この結果、如月に関する描写は驚くほどあっさりしたものに収まっています。活躍らしい活躍と言えば足柄の合コンの結果を暴露したぐらい。それ以外は基本的に髪が痛むのを嫌っていた印象しかありません。隙あらば原作のセリフを押しこむという艦これアニメの悪しき風習が、よくない形で出てしまったと言えます。とりあえず「ハラショー」言わせとけみたいな所ありますからね。
加えて、如月の最期は非常にあっさりとしたものだったことが挙げられます。本格的な戦闘が終了した後、帰投できないことを悟った敵航空機が最後の力を振り絞って爆弾を投下。これが直撃して轟沈しています。直接自爆特攻を受けてはいませんが、道連れにされて沈んだことに変わりはなく、ここだけ見ると、沈められた如月よりも沈めた敵航空機のほうがまだドラマ性があります。

これらのことを踏まえると「史実再現をやるために如月を強引に沈めたのでは」という疑問が思い浮かびます。
事実、第三話終了時点では私もそんな風に考えていました。
しかし、第四話以降の描写を見て、考えを改めることにしました。
ここから先は如月と艦娘たちの間柄を振り返りながら、如月が彼女らに残したものを浮き彫りにしていきたいと思います。

■睦月に残されたもの

艦娘たちの中で如月の轟沈でもっともダメージを受けたのは間違いなく睦月です。彼女にとって如月は最も大切な人物でした。同型の姉妹であり、右も左も分からない自分を助けてくれた恩義ある先輩でもあり、共に机を並べて学ぶ学友でもありました。
彼女らの関係は単純なようで複雑です。一番艦、二番艦がそのまま姉妹の関係なら、睦月と如月はちょうど長姉と次妹の関係。ですが、戦場に出れば睦月が後輩で、如月は少し先輩です。それも、学校に舞台を移すと上下のない同級の友人同士に変化します。
故に睦月が抱く如月への思いの描写は少しバラつきがあります。如月と言葉を交わす睦月は仲の良い友人へのそれでした。しかし、吹雪たちと会話する睦月からは如月に対する憧憬の念が見え隠れします。
例を挙げるとしましょう。睦月が吹雪のため、赤城に助力を仰いだのも如月ならばどうするかを考えた結果でした。その後、赤城との会話の中で恩返しという単語が出た時、彼女の脳裏に浮かんだのはやはり如月のこと。睦月にとって如月は自身の前を行く目標も同然の非常に大きな存在であることは仄めかされていました。哀しみの史実がドリルで脳髄に刻みつけるようなやり方だったのに比べると、非常に周りくどい描き方なのが気にかかりますが。

故に睦月は如月の喪失を最初は受け入れられませんでした。いつか戻ってくる如月を真っ先に迎えられるようにと波止場で一日の多くを過ごすようになります。
重要なポイントとして、この間、学業などは一切おろそかにしていません。学校にはしっかりと通っています。それどころか、如月を失ったことで意気消沈する学級において、以前と変わらぬ自分であろうとしていました。元気のない皆に、甘味処にでもいこうと提案する始末。足柄たちの論を借りるまでもなく、かなり危険な状態であったことは間違いありません。

この時、如月が轟沈してしまったこと、もう帰ってこないことを睦月は心のどこかで理解していました。そのことは、日の沈む波止場から溜息を残して立ち去る姿から読み取れます。胸に居座り続ける痛みの理由も本当はわかっていたはずです。それでも睦月はその思いに蓋をして、ただひたすらに待ち続けました。如月という拠り所を失い、一人ぼっちになってしまった彼女が立ち続けるためにはそれしかなかったのでしょう。
最終的に睦月は吹雪という仲間に悲しみと苦しみを肯定されたことで、初めて如月が轟沈したことを受け入れ涙します。
同時に、戦うことを運命づけられた自分たちのあり方について自覚したはずです。だからこそ、彼女は第三水雷戦隊が解散されると知ったその夜、吹雪を連れだそうとしたのだと考えられます。いつ何時あえなくなるかも知れない間柄なのです。この解散が今生の別れにつながらないとも限りません。まあ、夕立を置いていこうとしたのは解せませんが。

なんにせよ。如月を失ったことは睦月の成長に多大な影響を及ぼしています。如月の轟沈は虚空に消えてしまったのではないことは確かです。

■吹雪に残されたもの

如月の轟沈を通じて、成長したのは睦月だけではありません。吹雪もまたあの出来事を境に大きく変化した一人です。
吹雪は三話まで「足手まといにならないこと」だった目的が、四話以降「強くなること」へとシフトしています。まあ、これは如月を失ったことだけが原因ではないのですが、如月を失ってから様子のおかしい睦月を見て自分がしっかりしなければという意識を強めた部分はあると思います。
先のエントリでも話題に挙げましたが、この強くなることへの執着が強く現れているのが四話において魚雷発射後に前進しすぎてしまったシーンだと思います。今まで状況に対応するだけでいっぱいいっぱいだった彼女が、初めて自らの意志で戦果を上げるための行動に出ています。
結果として、敵艦の射程に入ってしまい、砲撃にさらされてあわや轟沈という危機に陥ります。足の推進装置みたいなものが損傷したのか、足首あたりまで沈みこんでいる姿はかなり危険な状態だったのではないでしょうか。
この窮地をで救ったのが金剛です。そして、前に出すぎたことを責めるでもなく、ただ「わかっている」と抱きしめました。なんて人間のできた艦娘でしょう。ほんの数分前まで「テコの原理こそ最強デース」とか抜かしていたのが嘘のよう……。

ま、帰国子女の悪口はこれまでにして。
この出来事をきっかけに、吹雪は自分のできることについて理解しました。
彼女は特型駆逐艦です。強くなると言っても限界があります。金剛のような活躍はできません。しかし、その逆もまた然り。駆逐艦が果たすべき役割は吹雪たちにしかできません。金剛には担う事ができない部分なのです。
このことを理解していたからこそ、第五話にて結成された第五遊撃部隊の面々をしっかりとした自分の意志でまとめ上げることができました。部隊はもう瓦解寸前のあの局面、バラバラになりつつあった心をまた繋ぎ止めるには弱い言葉ではダメでした。確固たる自信に裏打ちされた強い言葉だからこそ、加賀や北上に伝わるものがあったのです。

三話がなければ四話はなく、四話の出来事がなければ五話は成り立ちません。旗艦となった吹雪の土台には如月の轟沈が少なからず関与している。私はそう思います。

●最後に

如月の轟沈について長々と自分の所感を書きました。
誰かの目に留まったとき、同じ映像、同じ物語を見ていても、人それぞれ見え方が違うものだということがわずかでも伝わればいいなと思います。
今後も艦隊これくしょんがますます発展していくことを祈りつつ、エントリを締めようと思います。
ありがとうございました。