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2026年3月28日土曜日

こんなげーむにまじになっちゃってどうするの

バカバカしい話でいつまで盛り上がっているので色々と書き記しておく。

【スト6】アレックス騒動と『近親ネタ含む海外の人気キャラ』を比較し、アレクの描写設計ミスを突きつける回

これに対するアンサーでもある。はっきりと指摘しておくと、論が間違っている。

まずは文化への理解は必要だ

この話をするにはローカライズが単純な置換作業でないことを意識しておく必要がある。一見無関係のようだが、日本語のワニと英語の"crocodile"、"gharial"についての話をする。

伝統的な日本語においてクロコダイル(Crocodile)とガビアル(Gharial)は区別されず、どちらもただワニ【鰐】と呼ばれる。これは生物分類におけるワニ目(Crocodilia) に近い意味合いの言葉であり、日本語では顎が強靭な大型の爬虫類をワニとしか呼ばない(そして、その鰐すらサメとの関連を考えたほうがいいレベルで馴染みがない)。現代日本人が種の区別をしたい時は英語なりから言葉を借用しているのが実情である。例えば下の図の左はインドガビアルであり、右はクロコダイルと呼ぶ(提供元である いらすとや ではそう区別されている)。ただし、日本人相手に「これ、なんて呼ぶ?」と聞いた場合はほとんどがただ「ワニ」と答えるだろう。それぐらい、我々はワニの見分けについて無沈着だ。

▲図1、日本語はガビアルとクロコダイルを区別しない

なので日本語で「男はワニと暮らしている」という文("He lives with a 'wani'. ")は、相手がクロコダイルだろうとインドガビアルだろうと正しい。しかし、英語で"He lives with a crocodile."と言えるのはクロコダイルだけで、ガビアルと暮らしているなら"He lives with a gharial."で無ければおかしい。

▲図2、crcodileとは暮らしていない

※男がガビアルやクロコダイルと暮らしていけるか、あるいは暮らしていいのかは知らない。生態や法律の話は無視してほしい。

だから、「男はワニと暮らしている」を正確に英語に直す際は、男と暮らしているワニについての知識が必要不可欠である。日本人はワニ目の動物を一緒くたに表現するが、英語はそうではないからだ。彼――あるいは、彼女――をクロコダイルと呼ぶべきか、ガビアルと呼ぶべきかは翻訳者の手腕にかかっている。

まあ、とは言え、英語版で"He lives with a crocodile."としてしまったとしても、ワニの特徴を見れば正しくは"He lives with a gharial."なんじゃないの? となるのが人間である。特に男が飼育していたワニに関する描画に変更がないのなら、なおのことそうなる。大事なのはなんと説明されたかではない。どんなワニと暮らしているか? だ。

▲図3、英語は正しく。日本語も正しく

これは今回ネタにしたい、アレックス(スト6)の育ての親を英語で何と表すか、関係性をどう受け止めるかに似ている。

そのことを踏まえて以下を見てほしい。

キャラクターの背景設定は変更しないが、特定のテキストを修正するとしている。特定のテキストとは誤解を招く可能性がある部分である。

まあ、結局のところ、どこが更新されるかを確かめる必要はあるのだが、アレックスの背景設定を変更しないと宣言している以上は、今回から出てきた"adoptive father"か、トムとアレックスの母親がいとこ(cousin)だったかのいずれかが疑わしい。トムやパトリシアの親子関係や、この二人とアレックスの過去を変えることが、キャラクターの背景変更を意味しないとは思わない。

Street Fighter 6 director addresses Alex backstory controversy, announces revisions to certain text passages in a future update - AUTOMATON

Automatonの記事で触れられている通り日本語における「育ての親」 と英語圏における"adoptive father"は含意が異なる。トムが法的に縁組(adoption)しているならアレックスが兄でパトリシアは妹となるが、日本語の「育ての親」の必須条件は養育(foster)であり、必ずしも縁組を必要としない。アレックスの両親に不幸があり、孤独となったアレックスにトムが手を差し伸べたなら、法的な手続き有無にかかわらず「育ての親」である。多少の誤解を恐れずに言うならば"adoptive father"も"foster father"も区別していないのだ。

一方、英語ではそこを区別している。つまり、トムが法的にも実質的にも家族に取り入れる(adopt)ことをせずに親友の息子として、弁別しながら生活を共にしていたのなら、それは"adoptive father"ではない。……はずだ。たぶん。

ここで件のショートストーリーを観てみると、結婚式が終わったトムは亡き親友に「本当の父親になれた」と語り、また亡き親友に息子が出来たことを自慢している。トムはアレックスを幼少から育て、実質的な父親の役割を果たしてきたが、法律的には父親でなかった。それが法的にも父親(配偶者の父親だから)になった。

A Toast Between Fathers - Developer's column

 You got two troublemakers now, and I have a son—the best son in the world!”

縁組していたのなら、心情的にはともかく法的には既に親子関係であったはずだ。もちろん、当事者たちがすんなりと認められるかは別なので、アレックスが「あんたは父親じゃない」と言い、結婚(養子と実子の兄弟結婚を法律が許しているのか知らないが)を期にそのしこりが取り除かれたとすれば辻褄は合う。法的には親であったけども、名実ともに親となれたんだ。それがこれまで描かれていたトムとアレックスの関係性だとは思わないのでかなり無理矢理の感はあるが。

だが、件のPostに対する反応はなぜか、義理の親子の関係をなくすであるとか、兄妹としての関係を解消させようとしていると言った論が多い。これは、以前からadoptive fatherだったと主張しているのだろうか。それとも、三人の過去を消すことがバックストーリーの変更に含まれないということなのか。

そこをはっきりさせないと話が始まらない。

結局のところ、問題は何なのか

例えば、義理の兄妹でなくなるには「アレックスの両親が不幸に見舞われず、両親に健やかに育てられ」れば、まず間違いはない。それなら、トムがどっちの意味でも養父になる必要がないからだ。

その場合でもアレックスの母親とトムが"いとこ"同士であることは変わらない。そして、おそらくはトムが格闘家であることも変わらないだろう。だから、アレックスが格闘の道を志しさえすれば、彼を頼ることになった可能性は高い。この時、早くからトレーニングをすれば家族ぐるみの付き合いをすることもあるだろう。その中でアレックスとパトリシアの二人が恋に落ちるのは問題がないのだろうか?

血縁・親等といった血の濃さの問題なのであれば、関係性の微妙な変化(両親が健在でアイデンティティを置く家が別にあること)は結果に影響しない。重要な部分(アレックスの母親とパトリシアの父親の続柄がいとこであること)は変わっていないのだから、そこは影響がない。いとこ同士の子供は恋愛関係になるべきではない。なら、義理の兄妹であることは問題ではない。

逆にパトリシアの「義理の妹」という立場が問題なのだとすれば問題は解消する。この思考実験においてアレックスはトムの従姉妹の子どもではあっても、義理の息子ではないからだ。義理の息子で無ければ娘のパトリシアから見た義理の兄でもなくなる。

実際の所、これまでの描写が義理の兄妹だったか、ただ歳の離れた幼馴染のそれだったかはユーザー間でも意見が別れるだろう。前述の通り、トムが父親代わりとして養育に当たったのは事実で、その時の間柄をどのように整理したか――要するに、養子としたか、それ以外の方策を取ったか――は名言をされていなかったように思う。今回のストーリーがゲームにて開示されるよりも前、あるユーザーは実際にパトリシアをアレックスの友人(friend)と紹介している。

これに対するリプライがこちら。

このささやかななやりとりだけで、パトリシアがアレックスのfriendともstep-sisterとも表現されている事がわかる。互いに訂正していないということは、問題視するほどではないと考えていたのだろう。実際、結婚をしなければ問題視はされなかったに違いない。

前述の通り「step-sisterと結婚するなんて!」という話なのだとすれば「果たしてパトリシアはstep-sisterなのか?」が問題になる。そうではなく「second cousinと結婚するなんて!」だとか「family-friendと結婚するなんて!」なのであれば、トムとアレックスの関係はどうでもいいことになる。

で、そこん所、どうなんですか?

近親婚についての再整理

そもそも、日本の文化においてアレックスとパトリシアの結婚は問題とならない。

いわゆる「近親婚」-西野法律事務所

こちらのコラムによれば「近親婚は1人以上の共通の祖先を持つ個体同士の結婚」とされていることがわかる。何を持って共通の祖先とするか(ミトコンドリアイブまで遡ると全人類共通なのでは? など)は各々思うところがあると思うが、こと日本の民法においては「3親等内の血族の結婚」としている。厳密にはもっと色々あるが。

身近な例を上げると「おじ・おば」や「甥・姪」までは駄目で「いとこ」から可能となる。日本ではトムとアレックスの母親はいとこ(first cousin)同士だから結婚できたことになる。もちろん、実際はそうならなかったが。三親等内が禁止なのだから、それより遠いアレックスとパトリシアのようなまたいとこ(second cousin)での結婚も当然問題とならない。

また、姻族(結婚などによって生じる親族関係)は三親等内の制限を受けない(ただし、直系は流石に無理)。例えば両親の養子として入ってきた義理の兄との結婚は可能となっている。まあ、要するに婿養子である。婿を直系の姻族に組み入れるのと「両親を失った少年を養子と迎え入れたが、自分の実の娘と結婚する」は順序が違うだけでやっている処理は同じことだ。

以上から分かる通り、日本においてはアレックスとパトリシアの関係は法的には何らはばかることがない関係である。法律がそうであり、改正が叫ばれていないことからわかる通り、文化的にもその当たりはあまり問題視されていない。少なくとも、今は。

他方、彼らの出身・生活圏であるアメリカ――厳密にはキリスト教文化圏――では、いとこ同士の結婚が禁止されるところも出てくる。……ようだ。このあたりになると言語の問題もあって裏取りが難しい。アレックスとパトリシアのような「またいとこ婚」まで広げると州の法律で禁止されていることはなくなるようではあるが、それでも、カトリックでは1983年の改正が入るまでは禁止であったとされている。日本の婚姻は1898年施行の明治民法から踏襲されているから、法として施行されている期間だけでも100年近い差がある。法律が許しても、まだ人々の心情的には忌避感があるというのもあり得ない話ではない。ちなみに、アメリカの外で見れば、法律で禁止されている場合があり、韓国・北朝鮮・台湾などが挙げられるようだ。

とある事柄について、欧米の方が見方が厳しく、日本の基準では問題ないことも、彼らからは目を剥くような出来事に映る。よくある話である。

ただ、本件に関して言えばあちらが高い規範意識を持っている、とは言い難い。件の記事によれば「しっかりしたバックボーンがあれば認められる」らしい。遺伝的リスクはバックボーンではどうにもならないはずだからだ。そもそも、人口動態なども含めれば、守っていられない(ヨーロッパの王侯貴族がそうであったように)こともある。世界共通、人類の普遍的な見解を見出す事ができるかは怪しいところだと思う。その上、またいとこ婚は血縁のないカップルと比してリスクが高いと言えるのかという見方まであるようだ。

そもそも、多様性の観点から婚姻が男女間に限らず運用し始めているなか、宗教的信条や儀礼がいつまで通用するのかも怪しい所で、結局、双方の同意が危ぶまれるようなことがなければ後の世で今よりも濃い血縁が認められる可能性だってゼロではないだろう。現代は個人の意思と権利が強く尊重される。

そのうえで、問う。何が問題なんだ?

残念ながら騒動は収まらない

騒ぎになりそうな部分について整理を試みた後で恐縮だが、今巻き起こっている騒ぎの大半は取るに足らない莫迦の騒ぎである。

これは途中引用したショートストーリーに対する批判であるが、これを是とするならこのアートワークからトムが常に完璧で一切の隙がない教育者であったことが読み取れなければならない。なぜなら、パトリシアが危険な目に会ったのは、アレックスが家を出てトレーラーハウスで過ごし始めた後――どんなに遅く見積もってもストVの前後、状況的には前であるからだ。ストIIIのエンディングアートは現実の時間では最も早くに出されたが、物語中の時間軸ではストVよりも後である。こんなに仲のいい三人がいずれ崩壊する、のではなく、この三人は過去にこんなトラブルを乗り越えていたんだよ。という話である。

今回描かれたトラブルは3人がこの関係を築けなくなるものだと?

先程出てきたstep-sister の件もそうだし、二人をcousin と扱う人間の多さも気になる。冒頭の記事にしてもそうだ。とにかく論が雑なのだ。

例えば「アレックスのストーリーが否定されているのは近親相姦が原因でない」は、意図してついたものではないのだろうが明確に嘘である。近親相姦の描写があっても人気のあるキャラクターを出すことで証明できるのは「近親相姦は含まれているだけで絶対に問題になるカードとまでは言えない」だけである。むしろ現在の騒ぎを見れば「ちょっとした愛嬌」や「好き嫌いが分かれる」といった生半可なレベルではなく、とんでもない宿命や業がなければ取り戻すことが出来ない欠点であることが読み取れる。そして、その手の輩が近親婚が露わになるまでアレックスが好きだったと嘯くことからもはっきりとわかる通り、今回の原因ははっきりと近親相姦なのである。アレックスとパトリシアの関係は「でも、あいつらヤッてるぜ」で汚らわしいものになる程度のものだったか、あるいは尊い関係を吹き飛ばして有り余るインパクトでないと話が合わない。

これは認められる近親相姦を挙げて、俺たちは譲歩できる(こともある)と見せた所で変わらない。お前は「背景のない近親相姦」を言っているつもりなのだろうが論理的には「近親相姦」かつ「背景がない」だ。近親相姦でなくなれば成り立たない程度のものだ。この状況で議論が「なぜ近親相姦に至ったのか?」だけになるはずが無い。これは「近親相姦と言えるか?」は当然議題に挙がる。日本では法律的にも文化的にも近親相姦には当たらないんだって。俺たちも倣ってそうするべきじゃないか? 是非は兎も角、論理的には正しい流れだ。

「果たしてここまで遠縁の二人の恋愛はタブー視するほどなのだろうか?」これもまたぶつけられて然るべき問いではあるだろう。

これはその他の問題に対してもそうだ。別の見方として、パトリシアがヤングケアラーか? 否か? といった側面もあるだろう。日本では手続き不足で実家に届く郵便物を近所に届けるぐらいは何のこともないが、厳密に言えば「怠慢で手続きを怠らなければ必要のなかった作業を強いている」ことに違いはない。それはアレックスのことを思えば大目に見るか? トムが果たすべき役割ではないか? パトリシアが自由意志でやってることだから問題ない? それは本当に自由意志? アレックスと生活してくる中で子供の頃に習慣化されたのが原因なのではなく? これってグルーミング?

どうしてその辺りの話が出来ない?

結局、実態にそぐわないキャッチーなワードを軽々しく持ち出し、ローカライズでのズレ(法的に養子としている描写のないトムに"adoptive father"は適切か。文化圏の違いによる近親の範囲は差がないのか)を認識できずに自身の先進性を盲目的に信じ、がなり立てる様には驕りすら感じる。

問題を論ずるに足る段階に達していない。せいぜいがワードを検出するフィルターでしか無い。芯を食った議論になっていない。それは気楽なゲイ認定と何が違うんだ?

信頼を築き上げた結果の結婚と、性的関係こぎつける為に信頼を勝ち取るが区別も出来ない連中に迎合するのはそんなに楽しいか?

「果たしてここまで遠縁の二人の恋愛はタブー視するほどなのだろうか?」

これに答えられなければ話は始まらない。

それにだいたい、豪鬼に殺されたはずの男をすっとぼけて出してきたシリーズに後付云々で整合性取ることに価値を感じてる人間はそんなにいないのである。