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2019年12月8日日曜日

ゲーセンがオワっているのではなく

虚木零児です。

深く考えずに下記の記事を読んでほしい。

「ゲームセンターはオワコン」という大いなる誤解と意外な実態

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68147

まあ、別にゲーセンがオワコンだと思っている訳ではありません。が、ちょっとこの記事を手放しで肯定するわけには行かないので否定記事をしたためておきます。

家庭用ゲームと業務用ゲーム

文中にソシャゲの隆盛とゲーセンの比較は過去の家庭用ゲームと業務用ゲームの比較に通ずるものがある。という記載がありますが、業務用ゲームの側からみた場合、かつて家庭用ゲームはハードスペック面などで差をつけており、優位な立場にありました。家庭用ゲームでは出せないリッチな映像表現や、あるいは汎用的なコントローラでは得られない体感などが利点だったと言えます。各家庭にゲーム機が持ち込まれてなお、業務用ゲームは家庭用ゲームよりも一歩先を行くゲームとして君臨できていました。一部、ネオジオなどの例外はありましたが。

実際のところ、映像表現や処理能力などは個人向けコンピュータの発展により、家庭用のゲーム専用機も遜色ないレベルまで発達しています。アルカナハート3ぐらいの時点では「アーケードだと起きていた処理落ちがPS3版だと起きない」程度にまで関係が変化しています。

そういう意味では家庭用ゲームと業務用ゲームは比較的近い土台で戦ってきて、スペックという側面などで路線を差別化できていたと言えます。一方で、ソーシャルゲームがそもそも路線が異なるゲームであることはプレイヤー側からも、作り手側からも発信されている事実であります。曰く、ソシャゲのリリースはゴールではなく、スタートである。こまめに運営していくことを要求され、運営側はもちろんプレイヤー側も変動する環境についていくべく、走り続けることを求められるゲームが少なくありません。

この2つを単純に比較してどちらがオワかを導き出すのは無理筋だと思うものの、優位性を持ちつつ棲み分けができていた業務用と家庭用の比較と同一視するのは正直ちょっとありえないのではないでしょうか。まあ、そこは記事の大筋に変化を与えないのでいいか。

ゲームセンターという場

文中、読み勧めていくと、eスポーツの話をはさみつつ、最終的にはゲーセンという場が愛されているのだ。という格闘ゲーマーにありがちな着地点に落着します。

別にゲームセンターという場に居心地の良さを感じる人種がいること、そういう人種がゲーセンという文化を謳歌していることを否定するつもりはありませんが、ゲームセンターに場以上の価値を見いだせないのは格闘ゲーマー固有の発想なので、それをもってゲーセンにいる人を同一視するのはマジでやめてほしい(オタク特有の早口)。

流石に僕も全てのゲーセンとありとあらゆるゲームを網羅している訳ではないんですが、ゲームセンターにあるゲームで家庭でも遜色なく遊べるゲームってかなりの割合が格闘ゲームだと思うんですよね。専用筐体が必要な音ゲーとか、三国志大戦みたいな大型筐体のゲームはそもそも家庭に持ち込むことが現実的ではないので仕方ないとしても、版権問題以外は移植が簡単なはずのエクストリームバーサス(基盤が家庭用ゲーム互換基盤)ですら、家庭用は2014年発売のフルブーストを最後に出ていないんですよ。マキシブースト、マキシブーストonときて、現在稼働がエクバ2なので6年ほど家には来てない。途中、家庭用専用シリーズを売り出そうとしたことはありますが、アーケードと同じゲームを家庭用に持ち込んではいないんですね。

他にもビデオゲーム以外にメダルゲームとかUFOキャッチャーに代表されるプライズゲームとかが存在していて、まあ、この辺りはそもそも家に持ち込んでも意義がないのでどうしようもないにしても、格闘ゲームとか縦横シューティングみたいな古くからあるゲームスタイル以外はゲームセンターだけのオリジナルを追求しているんですよね。プレイヤーからもある程度の集客力を認知されているエクバですら、家庭用との差別化を露骨に図っている中、「家でも遊べるけどゲーセンという場が好きだから行く」っていうのは格闘ゲーマー特有の戯言でしかない。音ゲープレイヤー、エクバプレイヤーとかは家では絶対に遊べないからゲーセンに行かざるを得ないんですよ。あ、エヌアインプレイヤーも。

オワっているのは格ゲーがゲーセンを支える構図

ここに1ゲームごとの通信料の話が組み合わさると、設置台数が限られている小規模な店舗が苦境に追い込まれるのは残念ながら当然と言わざるを得ないんですよ。そもそも、対戦相手を貪欲に欲する格闘ゲームの持つ特性が、多少狭くても人が集まりやすい立地とマッチし、その上、1対戦毎でクレジット分の利益を生み出すのが格闘ゲームとゲーセンの蜜月時代の特徴でした。極端な言い方をすれば、ストIIの対戦台を置いていれば、どこからともなく嗅ぎつけたプレイヤーが日夜対戦が行われてロケーションが潤う。

ですが、現在はネット対戦によって家にいながらにして対戦相手に不自由しなくなり、必ずしもゲームセンターに行くことを必要としなくなりました。その上で、ゲーセン側はプレイに対して通信料がかかることによって得られる利益が減少しています。対戦をするためにはゲーセンに赴かなければならないという前提が崩れ、更には対戦が盛り上がっても以前みたいな利益が出なくなってしまい、かつてみたいに、人の呼べる格闘ゲームを何作品か揃えていればある程度の利益が出る構図ではなくなってしまった。

たまにミカドの話をする――おそらくはあの記事のヘッダもミカドの風景だと思われる――人がいますけど、あそこは社長からして露骨に通信料のかかるゲームを排して意図的に商売が上手く機能していた時期の路線を貫いているから成功しているというのは認識しておいてよいと思います。たとえ人気ゲームであっても、自分の商売に合わないと思えば排除できるだけの判断力があって機能している部分はあるので、ミカドは上手いことできてるのに俺のお気に入りの店が上手くいかない。は普通にありえることです。

ゲーセンはかつて程、格闘ゲームとの相性がよくなくなった訳ですが、それでも、ゲーセンがバージョン先行していた時代は最新ゲームを遊ぶならゲーセンに行くしか手がなかった訳です。ところが、ここも環境が変化しつつあり、狭い島国日本だけでなくワールドワイドに商売を展開しようと思うと遊興施設向けゲームではなく家庭用ゲームが重視されつつあるんですね。広い世界では近所のゲーセンまでメチャ時間がかかるとかあるんでしょうかね。その辺りは僕もよくわからないんですが。とにかく、格闘ゲームにおける業務用ゲームの地位はじわじわと落ちていきました。今や、家庭用ゲームとして発売されたゲームが昔の義理や、アケとういうロケーションの特別視によって遊べるようになると言っても過言ではない。とうとう「人の集まる場」ぐらいしか価値を見いだせなくなったのも宜なるかなといったところですね。

オワっているのは俺ら

格闘ゲーム自体は隆盛しているし、プレイヤーが少ないと思ったこともないので、ジャンル自体が廃れることはないと思いますが、必ずしもゲーセンという場に依存しなくなりつつあるなとは感じます。それでもなおゲーセンに残っているのは、徹底した懐古主義者でもなければ、人とか場に価値を見出している人たちだけというのも理解はできます。

でも、ビーマニとかmaimaiとかエクバとかゲーセンでしか遊べないゲームを遊びに来ている人たちを差し置いて「ゲーセンはなんていうか"場"なんだよ」とか陶酔したこと言われてもちょっと気持ち悪いな。ぐらいの感想しか抱けませんし、それが今後のゲーセンのあり方だって言われても疑問しか覚えません。ハングオン、アフターバーナーあたりから脈々と受け継がれた業務用ゲームだからこそできる体験はガンシューとか、ダンスラッシュとか釣りスピリッツ(これは家庭用出たけど)とかの立派な専用筐体を用意してメーカー各位も頑張っています。その中で、好き好んで汎用筐体のゲームを遊ぶが為に、家庭用との差別化点を見失ってしまい、場にしか価値を見いだせないのは俺らの落ち度だろって話であります。

小学生低学年近辺の少年少女たちが釣りスピリッツで遊びたいと思ってくれるならば、ゲームセンターはゲーム好きが集まる場以外の何者かであれるし、年金で生活していそうな老人たちがメダルゲームに夢中になっているのが今のゲーセンの一形態です。格闘ゲーマーがeスポーツを自称する前から続けてきた鎬の削り合いの主戦場がここでなくなったとしてもそれは嘆くことでもないのではないでしょうか。

それじゃ。