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2015年6月21日日曜日

憂世ノ志士ノ感想・浮世絵編

今回のエントリーも引き続き、スパイクチュンソフトから発売された憂世ノ志士について書き綴っていく。
前回は戦闘について不平不満をつらつらと書いたが、今回はこのゲームのもうひとつの柱、浮世絵について書いていこうと思う。

今回もゲームの内容にどんどん触れていくのでネタバレを気にする諸兄はご留意願いたい。


●憂世ノ浮世絵

本作の大変素晴らしいポイントとして、浮世絵エンジンが搭載されていることが挙げられる。
浮世絵エンジン自体は言葉で説明すると表示されている画面をそっくりそのまま浮世絵風に静止画にしてしまうというだけの代物なのだが、これがなかなかどうして浮世絵らしさが出ていて味わいがある。
などと、言葉をいくら並べてみても通じる訳はないので、実際にゲーム中で撮影した画像を並べておく。
この浮世絵エンジンによって生み出された浮世絵によって、物語がどんどん彩られていく憂世ワールド。
ここからは作中に登場する浮世絵について少しずつ述べていくことにしよう。

●戦画

まずは戦闘の様子を浮世絵にする、戦画から。
戦画は戦闘終了時に自動的に作成される浮世絵でプレイヤーが敵を倒した瞬間が納められている。
ここだけ聞けば痛快かつ迫力のある絵になりそうなものだが、実際は少々残念。戦闘中のカメラはプレイヤーの周囲を見渡せるように引き気味になっている。戦画はその視点のまま浮世絵になってしまうので、プレイヤーも敵も小さいことがほとんど。秘剣などのカメラ変更のある派手な大技以外は小さな人影が絡み合うだけの、迫力のないしょんぼり画像になることが多い。
個人的には多少テンポが悪くなろうとも、とどめの時点でカメラを寄せてアップの浮世絵にした方が格好がついたと思うのだが……。

●春画

続いてゲーム的には戦画とよく似た春画について説明する。
春画とは一般的にはエロチックな画のことで、本作でもその認識で別段間違いではない。別ゲーで言う所の脱衣KOを発生させると自動的に作成され、服を失って肌を露にした姿が絵になる。
発生条件は抜刀攻撃で相手に止めを刺すこと。なので基本的には納刀する必要があるが、武市から習得できる高速抜刀術でも発生させることができたので属性が付与されている攻撃ならオッケーなのかも知れない。
厳密には体力が1残ってしまって倒したことにはならないが、戦意を喪失して下着姿で縮こまるので戦闘は終了。因縁をつけてきたチンピラに実力差を見せつけつつ辱しめを与えるのはなかなか粋な気分を味わえるぞ。ただ、ストーリー上の戦いではしっかり倒さなければならない場面も多く、そういうときはもう一回殴って止めを刺す必要がある。
春画の、というか脱衣システムのがっかりポイントは戦闘中に頑張って脱がせた所で直後のイベントに入るとしっかり服を着ていること。流石に脱衣が必須となるイベントでは脱げていたが、それ以外では復活。途中、脱衣させたか否かで分岐する箇所があるのだが、その時も服は戻ってしまう。
わざわざ脱衣させた時のイベントをしっかり作る必要があるとまでは言わないが、切り捨てた服がなにも言わずに再生するのは少々いただけない。そこは多少間抜けな絵面になろうとも、脱げたまんまであって欲しかったかな……。

●風景画

最後は風景画。
これは読んで字の如く、風景を浮世絵に起こしたものだ。他の二つと違ってプレイヤーが自発的に作成出来る。個人的にはこのゲーム最大の魅力だ。
序盤の短い期間を過ぎればあとはいつでも作成が可能。なので、フィールド移動中にこれはと思ったら即座に絵筆を取って浮世絵に起こすことが出来る。
それを踏まえてかフィールドもやや気合いの入った作りになっていて、絵筆を片手に歩いてみれば画になるモチーフが散りばめられていることがわかる。西洋の文化が入り交じる出島、きらびやかさと静かさが同居する京都、重苦しい雰囲気と閉塞感に支配された江戸と町並みも多彩でプレイヤーは思う存分芸術的センスを爆発させることが出来るぞ。


●浮世絵に纏わるいろいろ

描いた浮世絵は浮世絵屋で売ったり、あるいは納入したり出来る。
浮世絵屋には浮世絵に纏わる依頼が集まっており、希望を満たした浮世絵を納入することで依頼を達成することが出来る。依頼の範囲は結構幅広く、風景画だったり戦画だったり色々。御禁制のはずの春画の依頼が結構あるのが個人的には少し面白かった。所持も禁止されてるような代物をそんなに堂々と頼むんじゃあない!
風景画には回船問屋と判じ絵という楽しみもある。
回船問屋はトレンドに応じた風景画を持っていくと剣の強化に必要な知名度と閃きを入手できるもうひとつの浮世絵屋といった風合い。最大の違いはここに納品した浮世絵は三千世界に広まって、他のプレイヤーに判じ絵として出題され(てい)る(であろう)所だ。
判じ絵と言うのは一枚の風景画をヒントにそれがどこで描かれたものなのかを推理して、同じ絵を描くという遊び。
これが息抜きとして大変いい塩梅に仕上がっている。
やってみて気づくのは画になる風景には中心となるモチーフがあるものなので、それが探す側にとって強力なヒントになるということ。そして、何気ない所にも巧妙にモチーフが配置されているということだ。
これだけ良くできていると、地面だけを納めるという意地の悪い真似でもしない限りは判じ絵として成立するのではないかとすら思えてくる。
他人が書いた浮世絵を片手にフィールドをうろうろしながらモチーフを探す楽しみはなかなか味わえるものではないので、興味のある人は是非ともプレイしてみてほしい。